★ 閉ざされた館で、お茶を ★
クリエイター神無月まりばな(wwyt8985)
管理番号95-5722 オファー日2008-12-09(火) 01:11
オファーPC 小日向 悟(cuxb4756) ムービーファン 男 20歳 大学生
ゲストPC1 朝霞 須美(cnaf4048) ムービーファン 女 17歳 学生
<ノベル>

 今日の午後3時。
 やわらかい時計のある本屋さんにいったら
 とじこめられるから、気をつけて。
 お茶の時間がおわるまで
 出してもらえないよ。

   † 

 銀幕市民運動会が終わったばかりの、穏やかな秋の日の午後。
 小さな夢の神は対策課に予知をつたえ――居合わせた小日向悟は、ミッドタウンに出向くことにした。
『やわらかい時計のある本屋』に心当たりがあったのである。
 対策課の職員は、これは依頼ではなく警告ですよと、何が起こるかわからない危険性を訴えて引き留めた。が、悟は、確証はないけれど、と前置きし、「大丈夫な気がするんだよね」と言ったのだった。
 それに、何も知らないお店のひとや、偶然お店に来たお客さんがいるとしたら、そちらのほうが心配だから、とも。

『13月への旅』。
 本屋らしからぬ名を冠したその店は、ミステリ専門の古書店だ。
 聖林通りに面してはいないため認知度は低く、知る人ぞ知る店となっている。住宅も兼ねている店舗は重厚な木組みの家、ドイツの古都で多くみかける鉄の透かし看板は本に絡まる蔓草の意匠。装飾されたロゴが騙し絵のように刻印されている無駄な凝りようは、店主の商売っ気のなさや半ば道楽で営業していることを伺わせる。
 青年にも壮年にも見える年齢不詳の店主は、デビューしたてのミステリ作家であるが、それ以上に、ミステリマニアとしてのほうが著名であった。特に、いわゆる『館もの』と呼ばれる本格ミステリを愛好しており、充実した在庫数はどこまでが商品でどこからが個人的コレクションなのかさえ判然としない。
 ――全ての読書は、他の人生への旅であり、異世界への旅でもある。しかしミステリは、ことに『館もの』は、精緻に設計された人工美へのいざないに他ならぬ……とは、店主が、ある雑誌に寄稿した一文である。
 以前、とうに絶版になったミステリを探し求めていたとき、この店でようやく見つけたことがあった。その折りに、壁を埋め尽くす書架の隙間から不意に顔を覗かせた異形の時計が、悟の記憶に強く残っていたのだ。
「こんにちは」
 アンティークガラスをあしらった重い無垢材の扉を開ければ、古書独特の匂いに満ちた、静かな異空間が広がる。
 奥まったレジの向こう、未整理の古書に埋もれるようにして、いつも読書にふけっている店主のすがたは、しかし今は見あたらない。
 その代わりに。
 以前見たときは、壁に掛けられ書庫の上にだらりと垂れ下がっていた時計が、今日はレジ前に置かれていた。
 奇才サルバドール・ダリの絵画に繰り返し登場する、ぐにゃりと溶けかけたチーズのようなあの時計。それを忠実に再現したデザインであった。柔らかそうに見えるのに、触れてみれば金属の硬さと冷ややかさ。白昼夢が実体化でもしたかのようだ。
 レジ前に、何やら書き置きがある。
 悟が手を伸ばすより先に、保護者お手製の蝙蝠風マントを翻し、バッキーの『ファントム』が肩から飛び降りた。両前脚で、ぴらん、と紙を挟み、読みやすくする。
【夕食の材料調達のため、小一時間ほどダウンタウンの戦場に赴きます。その時計は店番代わりですので、お買いあげのお客様は、お代を文字盤の上にでも置いてください】
 スーパーまるぎんの特売チラシ裏に、青い万年筆で書かれている。流れるような達筆でしたためられた文言のシュールさに、思わず悟は吹き出した。
「……店主さん、出かけてるのね。聞きたいことがあったんだけど残念……」
 扉を押す音と、誰かが店内を見回す気配が重なった。
 涼やかで音楽的な響きを放つ少女の声。彼女が得意とする楽器の繊細さに似た音色は、悟の知己のものであった。
「須美さん」
「悟さん……?」
「須美さんも、対策課からここへ?」
「……? いいえ、ずっと探してた本があって、いろんな古本屋さんを回ってみたんだけどどこにもなくて。『13月への旅』さんだったら知ってるかもって最後に行ったところで言われたの」
「そうか。偶然なんだね」
「予知って、リオネちゃんの? まさかここで、ムービーハザードが起こるの?」
「うん。3時に」
 予知の概要を伝える悟に、須美は不安そうに大きな瞳を揺らめかせた。
 時計の針は今、2時50分を指している。
「お茶の時間が終わるまで、出られない……」
「裏を返せば、一定以上の時間経過があれば解除されるんじゃないかって思うんだ」
「時限性ハザードね」
「たぶん。だから、あまり害はないような気がする」
 須美を安心させるように悟は微笑む。
「ここで偶然会うのは二度目だね。ジャーナルでの活躍は知っているけど」
「そうね」
 悟と初めて会ったときのことを思い出し、須美はくすりと笑う。
 ファントムを見て警戒心をゆるめた『リエート』が、須美の髪の間から、おずおずと顔を覗かせた。

   † †

 ミステリファンの常として、須美は読書量が多く、読破するスピードも速い。
 アガサ・クリスティーやG・K・チェスタトンなどが好みだが、それ以外にも、海外、国内を問わず、古典・名作・話題作と呼ばれる作品はひととおり網羅している。今は、高い評価を受けながらさまざまな事情で絶版になったものを探し求める楽しみに移行しつつある段階であった。
 そのときは、ピーター・ディキンスンの『生ける屍』を探していた。好きな作家のエッセイにお勧めの作品としてタイトルが記されていたので、興味を惹かれたのだ。

《薬理学者デビッドが派遣された小さな研究所は、カリブ海のホッグ島にあった。ある王朝に支配されているその島は、冷酷な弾圧をする秘密警察と、地下に潜行する反乱者と、賄賂で動く役人と、闇取引の横行するマーケットなどが混沌とした世界を形成していた。そこは、呪術めいた精霊信仰と、魔法と、狂気と、独裁の島――》 

 ネットなどで散見されるあおり文句をまとめれば、このようになる。しかし『生ける屍』は、入手困難の赤文字とともに、高額の値がつけられる希少本でもあった。
 銀幕市の古書店をいくつか当たり、そのことごとくに首を横に振られ、やっと見つけたと思ったら、とても高校生のお小遣いで入手可能な金額ではなかったりなどして、半ばあきらめかけていた矢先。
 ――あったのである。
 この古書店の書架の、なんと100円均一コーナーに。
 どうやらここの店主は、どんな希少本であろうとそれが『館もの』ではない限り、適当にあしらってしまう傾向にあるようだった。
 須美は、彼女にしては珍しく歓声を上げて喜び、手に取ろうとした。
 そのとき。
 同時に、同じ本に手を伸ばした大学生がいたのだ。
 それが出会いである。小日向悟と名乗った彼は、『生ける屍』初版本を須美に譲ってくれたのだった。
 最初は、悪いからと固辞した須美に、
「実はこれ、昔読んだことがあるんだ。何かに紛れてなくしちゃってね。今見かけて、読み返したくなっただけだから」
 と、ほんわり笑って。

 どうやらお互い、相当のミステリファンであるらしい。
 同族の匂いを嗅ぎつけた須美と悟は、書架の前で立ち話をした。
「クローズドサークルものが、好きなのね?」
「それが虚構だからこそ、凝った演出がなされているとうれしい。見立て殺人とかね」
「いいわね。マザーグースの歌に見立てられていると素敵」
「それは王道だね。クローズドサークルの設定に限らず、練られたプロット、美しいロジック、盲点を突く動機――これらが満たされているミステリはどれも好きだな」
「私は安楽椅子探偵ものが好き」
「論理の美学の極みだね。ごまかしが利かない」
 俎上に乗せている作品が、館ものから外れつつあるため、ふたりは徐々に声を落とす。
「あまり大きな声では言えないんだけど、悟さんが館もの以外でいいなって思ったミステリってどういうのかしら?」
「そうだね……。セバスチャン・ジャプリゾの『シンデレラの罠』は読んだことあるかな?」
 作家のファーストネームとよく知っているムービースターの名前が同じだったので、須美は一瞬ぎくりとしたが、すぐに笑顔に戻る。
「……ええ。20歳の、億万長者の相続人が主人公の」
「『私』は事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、そのうえ犯人でもある――」
「あの1人4役トリックは、1964年に発表されたものとは思えないわ」
「リアルタイムで読んだら、もっと衝撃的だったろうね」
「ふふ。時代が違うから無理だけど。そのころのフランスにいたら臨場感もあったでしょうね」
 ……などとミステリ談義に花が咲き、いつの間にやら閉店時間となり、のんびり屋の店主がとうとう店じまいを告げに来るほどの長い間、話が弾んだのである。

 せっかくの同志との邂逅が、前回、時間切れでお開きになってしまったことに悟も思い至り、頭を掻く。
「ホントは場所を変えて、もっと話せればよかったんだけどね。オレはバイトの時間が迫ってたし」
「私も、ヴァイオリンのレッスン時間をずらしてもらっってたから」
 店主のいない古書店で、またもふたりが、中断されたミステリ談義を再会しようとしたとき。

  ――……ボォーーーン。
         ボォォーーーン。
 
         ――……――……ボォォォォーーーン。

 やわらかい時計が、3時を告げた。

  † † †

 一転。

 店内の光景が塗り替えられる。
 見えざる神の手が、大がかりなからくり舞台を動かすごとくに。

 書物の匂いはかき消えて、甘い薔薇の香りが漂ってくる。
 並ぶ書架の代わりに現れたのは、チッペンデールのテーブルと椅子が揃えられた、古めかしいダイニングルーム。
 磨かれて艶を増したマホガニーに置かれた、ガレ工房の花瓶。惜しげもなく活けられた、溢れんばかりの黒薔薇。
 カメオ彫りの硝子を散りばめたシャンデリアを支えるのは、真鍮のメタルフレーム。
 漆喰の壁。自然木の太い梁。
 ハニーストーンの暖炉で、ぱちぱちと薪がはぜている。

 見知らぬ洋館の中に、ふたりはいたのだ。
 ――そして。
 半円を描く窓の外は――降りしきる雪。

「……雪!」
 須美は思わず窓に駆け寄る。
 つい先刻まで、外は秋晴れだったはず……。そう、今はまだ秋なのに。
 思い切って窓を開けてみれば、雪が吹き込んでくる。
 どこまでもどこまでも白い世界。足跡のひとつもない……。
 しかし、次の瞬間。
 目を見張った須美の視界に飛び込んできたのは、鮮やかな赤だった。
 真っ白な雪原のただ中に、壮大な真紅の薔薇が咲いていた。
 ……いや。
 あれは。
 薔薇の形に染められたあれは、夥しい鮮血の飛沫――……
 悲鳴を堪えるため、須美は両手で口を押さえる。

 悟はダイニングルームのドアを開け、廊下に出てみた。
 絨毯が敷かれている廊下にも、血飛沫があった。
 ところどころ、かすれて乾いているのは、何か重いものを――おそらくは死体を引きずった痕なのだろう。
 向こう側の部屋は、アームチェアが置かれた応接間のようだった。
 その大理石の床にも、丸い血だまりが広がっている。

「悟さん。これって」
「大丈夫。『もう終わっている』から」
 須美は動揺し、大きく息を吸い込む。その肩を、悟は微笑んで軽く叩いた。
「映画名の特定は難しいけどね。ともかく、雪に閉ざされた洋館で連続殺人が起こったんだ。そしてこのハザードは、クライマックスで関係者一同を集めた探偵が犯人を指摘し、すでに警察の手が入ったあとの館なんだと思う」
「謎解きが行われた、あと……?」
「うん。だから――お茶にしよう。3時だしね」

  † † † 

 おあつらえ向きなことに、ダイニングのサイドテーブルには、熱いお湯の入ったティーポットとマイセンのアンティークカップ、シルバーのティースプーン、セイロン紅茶のシャンパンと呼ばれるヌワラエリヤの茶葉が用意されていた。
「こういう館だと執事さんがいる設定になってるはずなんだけど、オレでごめんね」
 そんなことを言いながら、悟は椅子を引いて須美を座らせ、ベイサイドホテルの総料理長仕込みのティーサーブを行った。
 薫り高い湯気が立ちのぼる。
 淡いオレンジ色の紅茶をひとくち飲み、須美はようやく落ち着いた。
 ファントムが、すとんとテーブルに降り立つ。小さなマジシャンのようにマントを揺らめかせ、一回転する。
 バッキーの前脚には、白薔薇が一輪。
 須美の前に、差し出される。
「ありがとう」
 受け取った須美に笑顔が戻ったところで――
 有限の閉鎖空間での、お茶会が始まった。
 話題は、もちろん……。

【談義その1:殺人鬼と殺人犯の違いについて】
「動機の温度差かな。殺人犯は、計画的犯行であれ、衝動的犯行であれ、その動機は情緒的な気がする」
「やむにやまれない事情があったり、強い怨みや愛情があったりね」
「だから善意のひとであっても、殺人犯になりえる可能性がある」
「殺人鬼は、情緒は超越しているものね」
「冷徹な余裕と、歪んだ信念と、狂気の美学が必要になるんじゃないかな」

【談義その2:本格ミステリにおける探偵のあり方】
「安楽椅子探偵が好きだって言ったよね」
「ええ。悟さんは?」
「探偵のタイプで言えば、直感型かな」
「ホームズは直感型ではないわね」
「彼は、基本的には行動型の名探偵だと思うよ。ベイカー街の下宿を一歩も出ないでアームチェア・ディテクティブをつとめることもあるけれど」
「本当に優れた探偵ならば事件を未然に防げるはずだ、って、よく聞くわね」
「それはでも『探偵』と言えるかな」
「意味がないと思うわ。現実ならともかく、物語の中では」
「探偵と事件は不可分だと思うんだよね。探偵がいるから、事件が起きる」
「犯人と探偵も不可分なんじゃないかしら」
「鏡像のようなものだからね。だから探偵は、いつも自分自身を糾弾している」

【談義その3:銀幕市で起こった不可解なミステリについて】
「何故、犯人は遺体をバラバラにしたか、ということなんだけど」
「バラバラ殺人の犯人というのは、被害者の身近なひとであることが多いっていうわ……」
「そしてたいてい、その動機は決して猟奇的なものではないんだよね」
「犯行発覚の恐怖からでしょう。死体がなければ、犯罪は立証されないから」
「死体を物証のひとつとして考え、証拠隠滅を計る。『普通』のひとの衝動的な犯行であれば、そういう発想になるのがむしろ自然かな」
「どうして凶器は刃物――包丁でなければならなかったのかしら」
「紐で首を絞めるには腕力が足りなくて、毒で殺そうにも手に入れられる立場にはなかった。だから、家庭で手に入りやすい包丁を使った――」
「つまり犯人は、子供か老人? でも、バラバラにするのにもその包丁を使ったのだとしたら体力的に無理ね。共犯者がいるわ」
「本当は自殺だったのを偽装したのかも知れない」
「わざわざ……?」
「彼が自ら死を選んだことを認めたくなかった。他殺であってほしかったと思ったとしたら」
「『自殺の証拠』の、隠滅……」

【談義その4:『館もの』に敬意を表して】
「『館』というのはたしかに、ロマンあふれる犯行現場だと思う」
「日本の作品でも、舞台として使われるのはやっぱり洋館が多いわね」
「密室を作らなくちゃいけないという事情があるから」
「……伝統的日本家屋だと、密室は難しいものね……」

 黒死館…………ボスフォラス以東にひとつしかないと言われる、ケルト・ルネッサンス式の城館。建設は明治18年。
 斜め屋敷………オホーツク海を見下ろす宗谷岬に傾斜して建つ館。
 十角館…………孤島・角島に建つ十角形の奇妙な館。
 時計館…………鎌倉の森の暗がりに建つ。館は108個の時計コレクションで埋められている。
 霧越邸…………山深い信州の地に建つ、アール・ヌーヴォー調の豪奢な洋館。
 卍屋敷…………ふたつの長い棟が卍形に組み合っている屋敷。住人も建物同様ふたつの家族に分かれた微妙な関係。
 蒼鴉城…………京都近郊に建つ、ヨーロッパ中世の古城と見粉うばかりの館。
 グリーン家……ニューヨークのどまんなかにとり残された前世紀の古邸。

  † † † †

 時は過ぎ――
 お茶は飲み干されたが、されどふたりのミステリ談義は果てしなかった。
 ムービーハザードのほうが先に、古書店をあとにしたのだった。

 ふたりはなおも、書架の前で話し続ける。
 まるぎんのエコバッグに戦利品をしこたま詰め込んで戻ってきた店主が、留守の間に起こった館マニア垂涎のムービーハザードと、その中で行われたお茶会でミステリについて語り倒すというシチュエーションに参加し損ね、羨ましさに歯がみするまで。


 ――Fin.

クリエイターコメントおまたせいたしましたーー!
ミステリファンふたりの、ほのぼの陰惨お茶会デート(?)オファー、ありがとうございました。趣味全開で挑ませていただきました。
最初、作中に出てくるミステリはアレンジするつもりだったのですが、やはりミステリ談義には臨場感が欲しいと思い直しまして、こんな感じに。……ステキ館コレクションは記録者の暴走です。はい。
公開日時2009-01-07(水) 19:30
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